トンボ歳時記総集編 9月中旬−10月

小型で可憐なアカトンボたち
写真1.平地にある抽水植生が豊かなため池.

 私が小学生だったころ,裏山によく昆虫採集に出かけたものでした.小学生ですので,昆虫採集は夏休みの自由研究のためと決まっていました.そのときに,裏山にある池の畔に沿った,樹林に覆われたハイキングコースの柵に止まっている可憐なトンボをよく見かけました.オニヤンマやギンヤンマという大型のトンボばかりが目につく時期ですので,この小さな黄色い可憐なトンボの木漏れ日に輝く姿がティンカーベルを想像させ,妖精にも思えたものでした.黄色い色をしたものが多かったように記憶していますが,中には赤くなったものもいました.そのころは正式な名前を調べませんでした.今考えるとマユタテアカネだと思います.数は減りましたが,今でも同じようなところで見ることができます.
 ここではこのような,初夏に出現し盛夏にひっそりと隠れるようにして生活している,可憐なアカトンボ3種,マユタテアカネ,マイコアカネ,ヒメアカネを紹介します.マイコアカネとヒメアカネはやや限られた環境に生息していますが,マユタテアカネはそれらと比較すると生息環境が広いようで,色々なところで出会います.まずマユタテアカネから紹介することにしましょう.

 マユタテアカネは6月下旬から羽化が始まります.羽化した未熟な成虫は水域の周囲にある樹林にもぐりこんで生活をします.7月中はまだ全身が黄色い個体が多いのですが,8月になるとオスの腹部はだんだんと赤味がついてきて,8月下旬にはもう真っ赤になっています.

写真2.6月29日.6月25日採集の幼虫による自宅羽化.左はオス,右はメス.メスの方は肛門水を落とした瞬間が写っている.
写真3.左・右下左:6月27日,右上:7月1日,右下:7月7日.羽化直後の未熟な個体.右上はノシメ斑のないメス.右下はムシヒキアブによる捕食.
写真4.左上:8月18日,左下:8月20日,右:7月23日.夏の間にオスの腹部の色はだんだんと赤みを帯びてくる.右のオスはティンカーベル色だ.
写真5.8月26日.木漏れ日の射す樹林の中で生活する,腹部がほぼ完全に赤くなったオス(左)と,ノシメ斑のあるメス(右).

 平地ではだいたいこんな感じで成熟が進み,ふつう9月の中頃からは産卵活動が見られ始めます.しかし標高の高いところでは,成長がそろっていない感じに見えることがありました.標高890mでの観察で,同じ8月30日に,羽化直後と思われる個体と産卵するペアを同時に見ました.

写真5.8月30日.羽化直後と思われるオス(左)と,同じ日に産卵しているマユタテアカネのペア.場所は異なっているが,いずれも標高の高い場所である.

 産卵活動が盛んになるのは,9月中旬からです.メスが単独で産卵にやって来るのを見かけることが割合多いです.オスはそんなメスを捕捉して交尾をし,すぐに産卵に入るようです.ナニワトンボやリスアカネは産卵にやって来る前のメスを,池の周辺で捕まえているように見えるのですが,マユタテアカネは産卵に来るメスを,水辺で待っているように思えます.

写真7.9月17日.オスが待っているところへメスがやって来ると,オスがメスを捕らえて交尾になる(左).交尾が終われば,すぐに産卵に移行する(右).
写真8.9月17日.水が表面をうすく流れている,ため池の水のわき出し部分で,打泥産卵をするマユタテアカネのペア.
写真9.9月17日.マユタテアカネは打泥の後かなり高く上昇し,急下降して打泥する.右は上昇から下降への移行の瞬間.
写真10.9月22日.打泥産卵はとても高い位置からの急降下で行われる(左).打泥の瞬間は尾部を泥に突き刺すような角度で行われている(右).
写真11.9月22日.ため池の水が落とされ,底の泥が露出したところで産卵をするマユタテアカネ.メスを待つオス(左上)と最後に単独で産卵するメス(右下).

 マユタテアカネの産卵様式は,連結打泥産卵です.その際,アップダウンのストロークが非常に大きいことが特徴です.打泥後,ふわっと浮き上がるようにかなりの距離上昇します.そしてまっすぐに下降して打泥するという感じです.打泥の瞬間は,泥に腹端を突き刺すような角度になっています.
 池沼性のトンボであるマユタテアカネの環境選好性の広さを示す例として,川での産卵が挙げられます.流水のまっただ中で,ツルヨシの間に産卵をしていました.横では流水性のアカトンボであるミヤマアカネが産卵していました.これら2種が産卵している川で幼虫を採取すると,ミヤマアカネに混じってマユタテアカネの幼虫が採れます.

写真12.9月19日.川で産卵するマユタテアカネのペア.ミヤマアカネに交じってツルヨシの間で産卵活動を行っていた.メスはノシメ斑のない個体である.

 9月にはこのようにたくさんの産卵活動が見られます.さらに10月に入っても産卵は続きます.マユタテアカネはかなり遅くまで産卵活動をしていて,もっとも遅い記憶は12月です.もう相当に老熟した個体でしたが,12月の初めの暖かい日に,水田横の水路で産卵活動をしていました.

写真13.10月6日.岩がゴロゴロ転がっているような川の上流域で産卵するマユタテアカネ.岩の表面に卵を貼り付けているのが分かる.
写真14.10月6日.上と同じ場所で,ツルヨシの中や岩の隙間に卵を置くマユタテアカネのペア.

 話は変わりますが,マユタテアカネのオスが単独で打泥するという事例を観察したことがあります.オニヤンマでも,湿地でオスが垂直に後退・下降するような,産卵時のメスの飛び方をしたのを見たことがあります.オスがなぜこういった行動をとるのかはまったく推測の域を出ませんが,マユタテアカネの場合は産卵基質の触覚による検査なのかもしれません.
 このような活動をしながら,12月の中旬には,その姿が見られなくなります.

写真15.11月27日.左は,オスが単独で打泥行動をとっている瞬間.腹端がしっかりと基質に当たっている.右は産卵しているペア.
写真16.11月27日.水落がなされ,湿地状になった池に生える枯れた植生の中で産卵をしているペア.名前の由来である眉斑が分かる.
写真17.11月27日.腹端を植生の中に差しこんで産卵を続けるペア.
写真18.左:12月4日,右:12月12日.水田横の水路で産卵活動をするマユタテアカネのペア(左).12月中旬まで姿が見られたマユタテアカネ(右).

 では次はマイコアカネにいきましょう.マイコアカネは,現在数が非常に減っています.どちらかというと平地の池に多いアカトンボで,写真1のような,抽水植物が密に繁茂したまわりに樹林が広がらないような池でも,抽水植物やまわりの草地の中にもぐりこんで一生を送っています.県内では,同じような環境の平地池に生息していた,ベッコウトンボは絶滅しましたし,アオヤンマ,コフキトンボなどの減少も著しい状況です.おそらく,減少の原因は共通しているのではないかと想像できます.現在こういった池に生き残っているのは,アオモンイトトンボやシオカラトンボなど少数です.
 さて,マイコアカネは,マユタテアカネと同様に,6月頃から羽化が始まります.6月から7月にかけて生息地を訪れますと,未熟で黄色い可憐なマイコアカネが見られます.

写真19.6月22日.未熟なマイコアカネ.平地池の堰堤に生えている植生の中で未熟な時期を過ごしているオス(左)とメス(右).
写真20.左:7月5日,右下中:7月3日,右上・右下:8月3日.平地池周辺の草地で未熟期を過ごしている.右上は顔面がうっすらと青みを帯びている.
写真21.8月21日.池周辺の樹林で過ごしているマイコアカネ.山裾の池に生息する個体群である.

 8月下旬になりますと,腹部の赤みが濃くなるオスが出てきます.顔面も,名前の由来である舞妓さんの化粧をイメージする青みを帯びてきます.この時期の若々しいマイコアカネのオスは,胸部の黄色と黒色,腹部の赤と黒の斑点,尾部付属器の白,顔面の青,複眼上部の茶色,それぞれの色が輝いていて,一番美しく見えます.繁殖時期になると,胸部の黄色が褐色味を強く帯び,尾部付属器も赤くなってきますので,ちょっと地味な感じになります.

写真22.8月20日.山裾の公園にある池に生息する個体群.公園の植栽の中にもぐり込んで未熟期を過ごす.オスは赤みを帯びて顔面の青色も出てきた.
写真23.8月20日.顔面の青,複眼上部の茶色,胸部の明るい黄色と黒の縞模様,腹部の赤色と黒の斑点,尾部付属器の白,コントラストが強く美しい.
写真24.8月20日.メスも同じ場所で暮らしているが,メスは顔面がやや青くなっているものの,地味である(左).木の枝の上の方で過ごす個体もいる(右).

 9月の中旬ぐらいになると,各生息地では繁殖活動が盛んになります.成熟したオスの体色は胸部の褐色が濃くなり,やや地味な色彩となります.
 オスは日向に出てきてメスを待ちます.樹林に囲まれた池で生活するマユタテアカネは,どちらかというとこの時期は日陰で繁殖活動を行いますが,主に平地池で生活するマイコアカネは日向に出てきます.ときどき水面上をホバリングを交えて飛翔します.これはおそらくメスを探しているのでしょう.メスは付近の草むらの中で過ごしていて,産卵意欲が出てくると池の畔に現れます.オスはそれを捕らえて交尾をします.

写真25.9月17日.日当たりのよい平地池のヒメガマの植生内で活動を開始したマイコアカネたちのオス.
写真26.9月27日.日向に出てきて活動を始めたオス.止まったり飛んだりしてメスを待っている.メスは草むらで過ごしている.

 産卵活動は,他のアカトンボと同じように,よく晴れた日の午前中にを中心に行われます.基本は連結打水産卵です.生息地が,抽水植物が繁茂している場所なので,その間に入りこんでの産卵行動がよく見られます.マユタテアカネと同様に,打水後の上昇高度は高く,大きなストロークの動きです.また打水の様相は,水面をたたくというより,水に腹部先端を突き刺すといった感じです.

写真27.9月22日.産卵にやって来たマイコアカネのペア.マイコアカネは,マユタテアカネに似て,上下動のストロークが大きな打水産卵をする.
写真28.9月22日.打水するポイントは,抽水植生の間である.打水は,水面をたたくというより,水に突き刺すといった感じである.

 マイコアカネは湿地的様相を示す場所にも生息しています.以下の写真は,マイコアカネを初めとしたアカトンボがたくさん集まっていた,広大な低湿地,つまり空き地でした.現在はここにはメガソーラーが建設され,マイコアカネは姿を消しました.ここでも,繁茂するカンガレイの間にもぐり込んでの産卵行動です.

写真29.10月7日.平地の,日当たりのよい,カンガレイの繁茂する湿地に現れたメス(左)とオス(右).
写真30.10月7日.マイコアカネの交尾.オスはメスを見つけると交尾する.
写真31.10月7日.交尾はあちこちで見られる.交尾が終わったら産卵に入るかと思われたが,メスを放して止まったオス(右上).
写真32.10月7日.枯れたカンガレイの植生の中にもぐりこんで産卵するペア.

 別の生息地では,水落をしたため池の水際にできた泥状の部分に,産卵活動をしていました.ここは特に抽水植生の中という感じではありません.すぐ横にフトイのなかまが生えていますが,水位が下がっているためそこはもう陸地化しており,浮葉植物であるヒシが,露出した底に横たわっているような場所に,打泥産卵していました.

写真33.10月3日.水落をしたため池の,泥底が露出した部分で産卵するペア.
写真32.10月3日.10:00過ぎにたくさんにペアが産卵にやって来た.繁茂するヒシが露出した底に広がっていて,その間をねらって産卵している.

 マイコアカネで,産卵意欲のないメスと連結産卵をしようと頑張っているオスを2例見ました.下の写真33のメスを,他の産卵メスと比べるとよく分かります.脚を折りたたまず伸ばしています.打水後の写真(実は打水せずに上昇しようとしている)を見ると,メスが体を背中側に反らしているのが分かります.ふつう打水後メスは腹部を下側に曲げています.そして,挙げ句の果て,メスは草につかまって止まってしまい.オスも仕方なく止まる始末です.最後はこのオスはメスを放しました.このメスが受け身的にイヤイヤをする行動から,産卵動作(上昇−下降−打水動作)を行っている主体者がオスであることが分かります.

写真33.9月22日.産卵したくないメスを連結産卵を強引に行おうとしているオス.中・左下はメスが草につかまったところ,メスは脚を伸ばしている.

 マイコアカネは,マユタテアカネほど遅くまでは活動していないようです.11月に入ると,目撃数が一気に減ってきます.老熟したオスの額は,もう青みが消え,ヒメアカネのように白くなってしまいます.
 マイコアカネは,ここで紹介した写真の生息地の多くで,現在姿を消しています.まだ複数の生息地が残っていますが,気がつけばいなくなっているという感じになりそうなトンボです.まだレッドリストには載っていません.

写真34.11月18日.11月のマイコアカネ.もう顔面の青色も褪せ,白っぽくなってしまっている.

 では最後に,ヒメアカネを紹介しましょう.ヒメアカネは,名の通り,これら3種の中では一番小さいトンボです.湿原,湿地,ため池の岸辺に発達した湿地状部分などに生息しています.兵庫県では,羽化は7月に入ってから行われているようで,6月の目撃・採集記録がありません.7月の中頃に,生息地の湿地横の小径を歩くと,道沿いに未熟な個体が止まっています.湿地から少し離れたところにも移動しているようです.8月には腹部が赤みを帯びてくる個体が出てきます.マユタテアカネやマイコアカネに比べると,羽化が遅いせいか,赤みを帯びる個体の出現は少し遅いようです.

写真35.左:7月10日,右:7月31日.左は私的に最も早い記録のヒメアカネ.数頭が羽化をしていた.右は林の中で休む未熟なオス.
写真36.左・右上:8月1日,右下:8月3日.ティンカーベル色の未熟なヒメアカネ(左).8月上旬でも,腹部の色がつき始めている個体もある(右下).
写真37.8月20日.オスの腹部は少し赤みを帯び始めた.メスは夏の暑い日向で腹部挙上姿勢をとっている.

 ヒメアカネの産卵活動の始まりも,マユタテアカネやマイコアカネより少し遅い感じがします.羽化が遅い分だけ遅くなっているのでしょうか? 私が観察に出かけるのは,通常10月に入ってからです.9月中旬の平地での観察では,確かにオスの腹部は赤みを帯び始め,メスも腹部の背中側が黄橙色になりつつあります.中には繁殖活動を行っていてもいいような感じの個体もありましたが,当日の実物を目にした感じでは,まだ個体に若さが感じられました.しかし一方で,標高の高いところの個体は,やや色も濃くなっていて,9月に湿原で産卵活動を行っていました.低地とは,若干,生活史の進行が異なるようです.

写真38.9月16日.湿地横の林の中で過ごすヒメアカネのオス(左)とメス(右).まだオスの腹部は赤と黄色のまだら状態であり,メスも色がうすい.
写真39.9月19日.オスの腹部の色は赤くなっている(左).メスの腹部の背中側も黄橙色になってきて,成熟の進行をうかがわせるが,まだ若い感じがする.
写真40.9月25日.標高820mの湿原で産卵活動をするヒメアカネのメス.オス(左上)も尾部付属器まで赤くなっていて成熟しているのが分かる.
写真41.9月25日.単独打泥産卵するヒメアカネのメス.マイコアカネやマユタテアカネに似て,腹部先端を突き刺すような産卵方法である.

 ヒメアカネは通常,単独打泥産卵を行います.文献によると,連結産卵も行うと記載されています.しかしまだ私は兵庫県でその例を見たことがありません.湿原や湿地で生活しているヒメアカネは,湿地に生える植生の中にもぐりこんで産卵するため,連結状態では産卵しにくいのではないかと推察されます.産卵様式としては,打泥産卵に分類されます.しかし「刺泥産卵」といった方がいい感じで,腹部先端を泥の中に突き刺すようにしています.突き刺すときには,腹部第9,10節を背中側に反らし,長い産卵弁をまっすぐに伸ばして(写真40左下),泥に突き刺します.写真40,41にはその感じがよく出ています.
 産卵の前には交尾が行われることがふつうで,交尾に日周性があるからでしょうか,ある時間帯に集中して観察できます.湿地の中に立っていると交尾だらけということもあります.交尾が終わると,ほとんどの場合オスはメスのすぐそばに止まります.そしてその後,警護産卵に移行します.しかし,時には放されたメスが樹上へ飛び去っていくことがしばしばあります.産卵意欲のないメスとも頻繁に交尾をするようです.

写真42.10月4日.ヒメアカネの交尾.ヒメアカネは産卵管が長いが,それをオスの副性器に突き刺しているのがよく分かる.
写真43.10月4日.オスは交尾後,メスを放して,すぐそばに止まることが多い.
写真44.10月2日.生息場所では,交尾は数多く見られる.この場所では時刻は11:00を過ぎたあたりである.交尾状態で飛ぶこともよくある.
写真45.10月2日.湿地に生えている植生の中で産卵をするメス.
写真46.10月2日.右上のメスではっきりと分かるが,産卵弁をまっすぐに突き立て,腹部第9,10節を背中側に反らしている.
写真47.10月2日.腹部第9,10節を背中側に反らし生殖口を大きく開くことで(左上),泥に腹端を突き刺したときに卵が出やすくなるのだろうか.
写真48.10月9日.場所や日付は違っても,交尾と産卵のようすは同じである.湿地で単独打泥産卵するヒメアカネ.

 繁殖活動が頻繁に見られる10月上中旬以降,ヒメアカネは10月後半から11月にかけても活動しているようです.そしてわずかな生き残りが12月に見られます.晩秋や初冬のヒメアカネは,道などにペタッと止まって暖をとっている感じで,老後を過ごしています.そして12月中には姿を消します.

写真49.左:10月20日,右:10月17日.10月後半から11月にかけてはヒメアカネの観察に湿地へ出かけたことがなく,通りすがりに見る程度であった.
写真50.左:11月30日,右:12月6日.11月の末日,交尾をして繁殖活動を行っている(左).飛び去ったペアはどこへ行ったか不明.12月のヒメアカネ(右).