トンボ歳時記総集編 6月−8月

夏の池を彩るトンボたち(2)
写真1.夏の日差しの下,青々と葉を茂らせる水生植物たち.

 夏のトンボたちの中には,全身が鮮やかな単色に包まれているトンボたちがいます.イトトンボのなかまにも,キイトトンボやベニイトトンボといった,原色系の派手なトンボがいます.水生植物の間を縫うようにツイツイと飛ぶキイトトンボ,緑と白のハンゲショウの葉に止まるベニイトトンボなど,細い体ですが,精一杯自己主張しているようです.
 まずは,キイトトンボから見ていきましょう.兵庫県南部においては,キイトトンボの羽化は通常6月の上旬頃から始まりますが,5月にその姿を見ることもあります.羽化した未熟な個体は,池周辺の草地に広がって生活します.このころはまだ体の色もなんとなくぼんやりとした黄色で,特に翅胸全面が橙褐色をしています.やがて,胸部が黄緑色になり,腹部もはっきりとした黄色になったころ池に現れます.

写真2.5月27日.キイトトンボは5月から姿を見せはじめる.未熟なキイトトンボのオス.
写真3.左:6月23日,右:6月24日.キイトトンボオスの羽化(左)と,草原で過ごす未熟なキイトトンボオス・メス.
写真4.6月23日.羽化直後のメス(右)とかなり成熟したオス(左上)とメス(右上).成熟してくると,胸部が黄緑色になり,複眼も黄緑色になる.

 キイトトンボは植生が豊かな池沼に見られます.また湿地状になった沼でも見られます.オスは池の近くの草原でメスを探し,見つけると捕まえて,移精行動から交尾に至ります.

写真5.7月17日.池の周辺でオスはメスと出会う.メスを捕捉したオスはまず移精行動を行い,その後交尾に至る.
写真6.7月13日.産卵に向かうペア.メスには緑色型と黄色型があるが,これは緑色型.

 6月の下旬頃から産卵活動が見られ始めます.イトトンボのなかまは沈水植物が好きで,いわゆる「モ」の柔らかい組織に産卵をします.トンボの産卵基質に外来種は関係ないようで,特定外来種のオオフサモが茂る池で,オオフサモに産卵するペアを見ました.幼虫は,こういったモの中で生活します.沈水植物以外には,水面に横たわる水生植物の茎などに産卵しています.

写真7.6月24日.水生植物の間に入りこんで産卵をするペア.オスは直立して羽ばたき,歩哨姿勢をとっている.
写真8.6月24日.あちこち移動しながら産卵を続けるペア.6月下旬から産卵活動は行われている.メスは黄色型である.
写真9.7月31日.オオフサモの「林」の中で,水面に伸びるオオフサモの茎に産卵するキイトトンボのペア.
写真10.7月31日.あちこち移動しながら産卵をするペア.ちょっとした移動では,オスは体を直立させたまま飛ぶ.
写真11.7月31日.植生の中で産卵するペア.メスは緑色型である.

 繁殖活動は7月中旬から8月上旬くらいまでが最盛期です.そして8月後半になると観察機会が少なくなるようです.オスやメスの個体も緑色味が強くなって,日齢の進行が感じられ,個体数も減ってくるようです.生き残りは9−10月に入ってもごく少数が見られますが,キイトトンボの季節は終わりを告げたように感じられます.

写真12.左:8月25日,右:8月12日.8月のキイトトンボ.8月になると,キイトトンボの多くは体色がつや消しになってくる(右).
写真13.9月14日.秋の暖かい日差しを受けながら静止するオス.同じ日にはアオイトトンボが産卵を行っていた(右上).

 次はベニイトトンボです.ベニイトトンボは国内では準絶滅危惧種に指定されていますが,兵庫県では絶滅の可能性がより高いと思われます.詳しくは別の記事「消えゆく兵庫のベニイトトンボ」をご覧ください.ここではベニイトトンボの生態を紹介することにしましょう.
 ベニイトトンボは,兵庫県下では,1970から80年代において,主に神戸市の南西部に集中的に見られるという特異な分布を示していた種で,他での報告があまりありませんでした.現在は別の地域でも生息地が見つかっています.
 ベニイトトンボの羽化は5月下旬から始まりますが,7月下旬になっても羽化しているのを観察したことがあります.そして6月頃から8月いっぱいまで元気な姿が見られ,9月には生き残りの個体が少数見られる程度になります.もっとも繁殖活動が盛んなのは7月から8月にかけての短い期間です.

写真14.7月30日.ベニイトトンボの幼虫は,羽化が近くなると,胸部を中心に体背面が赤っぽくなる(左).羽化直後からすでに赤い(右).
写真15.左上:6月12日,その他:6月29日.6月のベニイトトンボ.成熟した個体もいるが(左),まだ体も細く成熟していないメス個体もいる(右).

 ベニイトトンボは,どちらかというと丘陵地の池に多く見られ,池の周囲の草むらと池で一生を過ごしているようです.未熟な個体はもちろんのこと,成熟したメスや一日の活動を終えたオスなどのねぐらとしても,周囲の草地は利用されているようです.樹林が隣接している池の場合は,樹林に入りこんでいることもあるようです.成熟したメスが樹林から池の方に出てくるところを観察したことがあります.7月の下旬にもなりますと,ベニイトトンボの繁殖活動が頻繁に見られるようになります.成熟したオスは,多くが池に出てメスを待ちます.

写真16.左:7月8日,右:7月31日.池に出て活動を始めたオス(左).オスの静止場所は,池の水面というより水際の植物に止まっていることの方が多い(右).
写真17.7月31日.樹林から出てきたメス.この後池の方に向かって飛び去った.樹林で休んでいる場合もあるようだ.

 オスがメスを捕捉した瞬間をまだ観察したころはありません.見つけたときはたいがいタンデム状態になっています.交尾は池の周辺で見られます.おそらく交尾は数分で完了します.交尾が終わると産卵を始めますが,このとき結構神経質になるように感じます.なかなか目の前ですぐに産卵を始めてくれません.タンデム状態のままであちこち移動ばかりしています.ある観察地で数ペアのタンデムを見つけたのですが,水面に降りてもまた飛び上がるなど,いくら待っても産卵を始めてくれませんでした.

写真18.左:7月31日,右:7月30日.ベニイトトンボの交尾.これらは違う場所の個体群であるが,共にメスが後肢を伸ばしているのが面白い.
写真19.7月31日.タンデムで飛び回るペア.水面に降りることがあっても,人が見ていると産卵を始めず,また飛び上がって草に止まる.
写真20.左・右下:8月31日,右中上:7月30日.上の写真とは異なる池での観察.やはりタンデムで飛び回っている姿が目立つ.右上は産卵を中断.

 植物内産卵をするトンボでも,モートンイトトンボやシコクトゲオトンボのように,かなりまわりの動きに敏感に反応するトンボがいます.ベニイトトンボもそれに近い感じがします.しかし,辛抱強く待てば,やがて産卵を始めてくれます.産卵は沈水植物に行われることが多いようです.

写真21.7月30日.水面に降りて浮葉植物や沈水植物に止まり,産卵を始めようとしている.
写真22.7月30日.産卵は腹部を曲げて,浮葉植物の葉の裏側に産卵するようである(左).沈水植物にも,下の方から産みつけているように見える.
写真23.7月30日.歩哨姿勢で産卵させているオス.他のトンボが近づくと,翅をバタバタさせてそれを威嚇する.写真ではクロイトトンボが近づいている.
写真24.7月30日.歩哨姿勢で,あちこち移動しながら産卵するペア.

 ベニイトトンボは,キイトトンボに比べると,少し遅くまでその姿を見ることができるようです.私のもっとも遅い観察記録は10月11日というのがあります.写真は8月31日以降のものを持っていません.
 ベニイトトンボは,植生が密に茂った,どちらかといえば古い池に見いだされるという報告があります.だいたいこういった池は街の中に取り残されているものが多く,すでに埋め立てられてしまった池もたくさんあります.また外来種である,アカミミガメやヌートリアなどが入って,沈水植生を壊滅させてしまい,他のイトトンボといっしょに消えることもあります.兵庫県では前途多難な感じのするトンボです.

写真25.8月31日.8月末,まだまだ若く見える個体が,繁殖活動を行っている.腹部をねじって器用に産卵している(右).