モノグラフ:水田で生活するトンボ
水田とトンボ
水田の稲の中で産卵するナツアカネ
図1. ナツアカネ Sympetrum darwinianum の稲穂の中での連結打空産卵.
 私たち日本人は2500年以上にわたり,米を主食として暮らしてきました.そのため,日本国中に水田が広がっています.水田では,春に田植えのために水が張られ,春から初夏,そして梅雨の時期にかけて,農家の人々の手によって水が満たされた状態で管理されます.これは梅雨,つまり雨季に出現する浅い湿地に他ならず,水面の輝きを求めてトンボたちが集まってきます.

 しかし,乾季に相当する夏になると,一般に中干しと呼ばれる水田の水抜き作業が行われます.稲(学名:Oryza sativa)はこの時期に急速に成長・開花し,秋に結実して収穫を迎えます.したがって,二期作を行わない地域の水田では,その管理のしかたによって異なるものの,通常水が存在するのは田植えから中干しの間となります.

 したがって,集まってきたトンボたちのうち水田で次の世代を育めるのは,原則的にこの短い期間内に幼虫のステージを終えることができるものだけということになります.日本のトンボでこの条件を満たすのは,アカネ属の多くのトンボたち,カトリヤンマ,アオイトトンボ科のトンボたちといった,いわゆる卵越冬し春に孵化した幼虫が急速に成長する,秋季種および成虫越冬種のグループです.これ以外には,通季種のグループで,幼虫期間が短かい多化性のトンボや,乾燥に抵抗性があるいくつかのトンボが,水田を利用できることになります.

水田横に見られる湿地状の水たまり
図2.水田横に見られる湿地状の水たまり. ハラビロトンボ Lyriothemis pachygastra やシオヤトンボ Orthetrum japonicum japonicum がこのような場所に集まってくる.ただしこれらのトンボが次世代を生み出せているかどうかは分からない.
 それでは水田を利用しているトンボたちについて見ていくことにしましょう.まずは水田の代表的トンボ,アキアカネと水田の関係を見ていきましょう.


モノグラフ:水田で生活するトンボ
アキアカネの生活史と水田
 アキアカネが産卵に選ぶ典型的な場所は,泥があって水が浅くたまっているようなじゅくじゅくした場所です.このような場所は稲刈りをし終わった後の水田に普通に出現します.例えば,機械で刈り取った後の轍(わだち)に周期的に降る秋の雨水がたまったところや,低湿地の水田でいつも水が残っているような場所です.こういった場所は,水田が豊富にある日本では,どこにでもある風景です.
産卵と典型的な好適環境
図3.低湿地の水が抜けきらない水田(左),そういったところにやってきて打水産卵するアキアカネ Sympetrum frequens(右).2010.10.17.,京都府.
 しかしこれだけでは,アキアカネは水田の生活者になれません.産み落とされた卵,あるいはそれからかえった幼虫が,あと水田で最後まで成長し羽化しなければならないからです.実は,アキアカネは,人間の水田耕作の営みに見事に一致した生活史を送り,水田を見事に利用できる昆虫なのです.次の図を見てください.この図の水田の管理のあり方は,地域によって,時期や方法に多少バリエーションがあるとは思いますが,だいたいはこういった順序でなされるものと思います.

水田とアキアカネ
図4.典型的な水田の管理とアキアカネの生活史の一致.山口(2001)を参照.
 ここで注目すべきは,水田に水がある時期が幼虫期に一致し,水がない時期,そしてヒトが手を入れる収穫の時期には,水田を離れて山に移動し,収穫が終わったら水田に戻ってくるという,見事なまでの水田サイクルと生活史サイクルの一致です.さらにアキアカネは,卵で休眠して冬を越します.この時期裏作をしない水田は放置され表面が乾燥することもありますが,休眠している卵はある程度の乾燥には耐えますので,冬を生き延びることができます.そしてこの休眠は,飼育経験から見て,おそらく冬の真っ最中から終わりにかけての間に消去され,条件が整えばいつでも発育を再開できる状態になって,春を待っていると思われます.

 春になり気温が上昇し,農家の方が粗起しした田に水を入れますと,待っていましたとばかりに卵が発生を再開します.一般に多くのアキアカネの卵は前年の秋に相当に発生が進んでいて,孵化するちょっと手前で休眠に入っています (Ando,1962;上田,1993a;上田,1993b) ので,発生を再開した卵は非常に短期間で孵化をします.

 続く幼虫の時期には水が欠かせませんが,農家の人が水田の水を絶やさないようにして稲を世話をしていますので,アキアカネにとっては干上がる心配がありません.水田は日差しが強く当たり,また浅いので,水温が高くなりがちですが,アキアカネの幼虫はその高温を利用してどんどん成長し,うまくいけば中干しまでには羽化できます.この幼虫の時期は梅雨にあたります.水田耕作が始まる前には,梅雨の時期に水が存在するような低湿地に生活していた種なのかもしれません.雨季に幼虫期を同調させるという生活史戦略が,水田生活者としての前適応になっていると考えることができます.
テネラルな成虫
図5.左:水田でのアキアカネの羽化個体.2016.6.26., 豊岡市. 右:収穫後の水田で交尾.2010.10.17.,京都府.
 アキアカネ以外の水田生活者も,基本的には似たような生活史を営んで水田での生活に適応しています.それでは,アキアカネ以外の水田生活者について見ていくことにしましょう.


モノグラフ:水田で生活するトンボ
水田で生活しているトンボたち
 以下のトンボリストは,私が水田で採集したもの,あるいは日本のトンボ研究者によって報告されたもので,いずれも幼虫または羽化殻が見つかったものを示しています.水田の周辺に広がる用水路,付帯湿地などで見つかったものは含みません.


  種名  文献  越冬
01. モートンイトトンボ Mortonagrion selenion  幼虫 
02. オオイトトンボ Cercion sieboldii  新井 (1985)  幼虫 
03. ホソミオツネントンボ Indolestes peregrinus  成虫 
04. カトリヤンマ Gynacantha japonica  卵  
05. ギンヤンマ Anax parthenope julius  幼虫 
06. ハラビロトンボ Lyriothemis pachygastra  幼虫 
07. シオヤトンボ Orthetrum japonicum japonicum  新井 (1985)  幼虫 
08. シオカラトンボ Orthetrum albistylum speciosum  幼虫 
09. オオシオカラトンボ Orthetrum triangulare melania  新井 (1985)  幼虫 
10. アキアカネ Sympetrum frequens  卵  
11. ナツアカネ Sympetrum darwinianum  卵  
12. ミヤマアカネ Sympetrum pedemontanum elatum  卵  
13. マユタテアカネ Sympetrum eroticum eroticum  卵  
14. コノシメトンボ Sympetrum baccha matutinum  田口 (1997)  卵  
15. ヒメアカネ Sympetrum parvulum  田口 (1997)  卵  
16. ノシメトンボ Sympetrum infuscatum  新井 (1996)  卵  
17. ウスバキトンボ Pantala flavescens  幼虫 

表1.水田本体で幼虫や羽化殻が見つかったトンボたち.ウスバキトンボは八重山諸島より北では越冬できないとされている(尾園ら,2022).
Sympetrum frequens and Mortonagrion selenion
図6.休耕水田で6月に羽化したホソミオツネントンボ Indolestes peregrinus.右:休耕水田で6月に産卵するモートンイトトンボ Mortonagrion selenion
 ホソミオツネントンボは成虫で越冬し,春に産卵,孵化して急速に成長し,初夏に羽化します.水中で過ごす期間は計約95日(関西トンボ談話会,1984)であるため,中干しの時期に間に合うように羽化すれば生活できます.

 モートンイトトンボ, オオイトトンボ, ギンヤン, シオカラトンボ, オオシオカラトンボ, シオヤトンボ,およびハラビロトンボは通常幼虫越冬しますので,年間を通して水があるような水田で見られるのがふつうです.ただしハラビロトンボなど,ある程度乾燥に耐性のある幼虫も含まれています.
ギンヤンマとシオカラトンボ
図7.左:収穫後の水がない水田で産卵するギンヤンマ Anax parthenope julius. 右:水田で警護産卵するシオカラトンボ Orthetrum japonicum japonicum
 上記の種とは対照的に,ウスバキトンボを除く残りの種はすべて卵で越冬し,春に孵化して急速に成長し,初夏に羽化します.これらは冬に水を必要としないと考えられます.なぜなら,少なくともアキアカネ,ナツアカネ,コノシメトンボ,ノシメトンボの4種については,前年の冬に乾燥状態にあった水田からでも羽化できたという報告があるからです(新井,1985).日本の水田の多くはこのような条件にあるため,これらのトンボは水田環境に最も適応しているといえるでしょう.
アカネ属の2種
図8.水田で見られるアカネ属の種.左:水田の横の道で休むノシメトンボ Sympetrum infuscatum
右:水田横でメスを待つマユタテアカネのオス Sympetrum eroticum eroticum
 ウスバキトンボの成虫は初夏に水田から羽化することがよくありますが,本種は八重山諸島より北で越冬することはできないとされています.その年の個体群の親となる少数の成虫が,毎年4月下旬に南から,海を越えて日本に飛来し,水が張られた水田に産卵します.例えば兵庫県三木市で2026年7月3日に,水田で連結産卵をする数ペアの本種を観察したことがあります.ご存じの通り,ウスバキトンボの水生生活期間は非常に短く,卵期は5日間,幼虫期は34日間(関西トンボ談話会,1984)という飼育記録がありますので,本種は日本の水田環境に適応しているといえます.

 さらに沖縄や八重山に出かけると,ヒメトンボ,ハラボソトンボ,コフキショウジョウトンボなどが,水田で繁殖活動している姿をよく目にします.またウミアカトンボやヒメハネビロトンボが水田のまわりによく止まっています.地元でないため幼虫や羽化殻を確認することができませんが,活動している様子やまわりに適当な止水域がないことを考えると,これらもおそらく水田で生活するトンボたちだと思われます.止水域の少ないこれらの離島でのトンボの水田利用について調べてみるのも面白いと思います.
ヒメトンボとウスバキトンボ
図9.左:水田で繁殖活動をするウスバキトンボ Pantala flavescens.右:水田で活動するヒメトンボ Diplacodes trivialis.いずれも西表島.
ウチワヤンマとタイワンウチワヤンマ
図10.左:水田になわばりを持つウチワヤンマ Sinictinogomphus clavatus clavatus.この水田では常に複数の個体が見られ,ときどき水面上をパトロールしている.兵庫県.右:水田でなわばりを持つタイワンウチワヤンマ Ictinogomphus pertinax.西表島.これらのトンボは水田で繁殖しているかどうかは分からないが,水田を繁殖可能な水域と認識していることは間違いないように思える.

モノグラフ:水田で生活するトンボ
トンボは日本人にとって親しみのある昆虫
 古代,日本は「秋津島(あきつしま)(アキツ=トンボ)」や,豊かな実りをもたらす水辺の国を意味する「豊葦原瑞穂国(とよあしはらみずほのくに)」と呼ばれていました.当時,田んぼから毎年おびただしい数のトンボが羽化していたことは,容易に想像がつきます.私たち日本人は,最も身近な昆虫であるトンボと共に生きてきました.

 しかし残念なことに,ここ30〜40年の間に,圃場整備や様々な化学物質を使用する近代農業の影響で,身近なトンボの数は減少してしまいました.今やトンボは,現代の日本の子供たちにとって,かつてのような身近な存在ではなくなっています.身近な,そして日本という国に生息するトンボを保全していくことは,トンボを研究する専門家や自然愛好家にとって,大切な課題の一つであると私は考えています.

 そんな危機的な状況にある水田のトンボたちですが,兵庫県では,コウノトリの復活事業を行っている豊岡市で,水田を生物多様性を維持してコウノトリの餌場にする取り組み −コウノトリ育む農法− が行われていて,今でもかなりの数のトンボが水田で生活しているのを観察することができます.ただしこれも,最近の気温上昇のせいか,強い日差しを受けて水温が上がる水田で,トンボの姿が消える例が見受けられるのが,気がかりです.
電柵の電線に鈴なりに止まるアキアカネ
図11.水田の電柵電線に鈴なりに止まるアキアカネ.豊岡市,2021.10.5.

References
新井 裕,1985.水田とトンボ (1). Gracile 34:19-20.
新井 裕,1996.水田に適したアカトンボ.昆虫と自然 31(8):23-26.
Ando, H., 1962. The comparative embryology of Odonata with special reference to a relic dragonfly Epiophlebia superstes Selys. The Japan Society for the Promotion of Science, Tokyo.
上田哲行,1993a.山へ上がるアキアカネ,上がらないアキアカネ.アキアカネの生活史における諸問題1.インセクタリウム,30:292-299.
上田哲行,1993b.山へ上がるアキアカネ,上がらないアキアカネ.アキアカネの生活史における諸問題2.インセクタリウム,30:346-355.
尾園暁・川島逸郎・二橋亮,2022.日本のトンボ 改訂版.文一総合出版.東京.
関西トンボ談話会,1984.近畿のトンボ.
田口正男,1997.トンボの里 アカトンボにみる谷戸の自然.144pp., 信山社,東京.
谷戸は谷筋に広がった水田地帯のことです.この本には非常に詳しい調査結果が示されており,水田に棲息するアカトンボについて知りたいときには必読の書でしょう.
山口裕文,2001.水田の四季と生き物.滋賀の田園の生き物,1-12..滋賀県農政水産部.