トンボ歳時記総集編 8月−9月上旬

子供たちも知っているトンボたち
写真1.公園施設内に設置された人工池.

 最近はトンボも子どもたちにとって身近な生き物ではなくなってしまいました.そんな中でも,比較的知名度の高いトンボが,ギンヤンマではないでしょうか.シオカラトンボも知名度が高いトンボだと思われますが,やはり大空を豪快に飛び回るギンヤンマは,一種の憧れを呼び起こす存在になるのでしょう.これらのトンボの知名度が高いのは,一つは,私たちが暮らしている場所に姿を現す非常に身近な存在であることが大きいと思います.写真1のような,人が利用するためにつくられた施設内の人工池にも,シオカラトンボやギンヤンマは入りこみ,飛んでいます.
 ギンヤンマは,私が子どものころは,夕方に谷筋に無数に集まって空を飛び回っていました.子どもたちは小石を50cm−1mくらいの糸の両側に結びつけ,さらにそれを銀紙で包んで作ったいわゆる「ぶり」で,飛び交うギンヤンマを捕まえていました.私も,今の新神戸駅ができる前の生田川河原で飛び交うギンヤンマをぶりで捕まえ,捕らえたギンヤンマの翅を指の間に挟み込んで,その数を競い合ったものでした.今では夕方飛ぶギンヤンマの数も減ってしまいました.
 また6月頃に田園地帯へ行くと,田植えが終わった水田1枚に1匹という感じで,そこかしこにギンヤンマが飛んでいました.神戸ではギンヤンマのことを「どん」と呼んでいて,網を持った子どもたちは,池や水田の縁で網を左右に振りながら,「どん来い,どん来い」と言って,近づいてきたギンヤンマを捕らえていました.
 こんな感じで,ギンヤンマはもっとも身近なトンボの座を得ていたのだと思います.

写真2.8月22日.夕焼け空を背景に飛ぶギンヤンマ.

 さて,そんなギンヤンマですが,すでに紹介したように,早いものでは4月の下旬から羽化が始まります.池を飛ぶ姿が見られるようになるのは5月の中頃からです.しかし,5,6月はまだ数はそれほど多くはありません.数が増えるのは7月になってからです.そして,8,9月にもっとも頻繁に産卵活動が観察できます.石田(1969)に,おそらく本州中部地方における,ギンヤンマの羽化消長のグラフが掲載されています.それによると,7月上旬まで羽化が続き,そこでいったん羽化が見られなくなるものの,8月の中下旬にまた羽化が見られています.羽化は4月下旬から約4ヶ月間続いていることになります.

写真3.左:5月1日,右:5月17日.5月にすでに羽化し,活動を始めているギンヤンマ.
写真4.6月9日.池の中央を飛ぶギンヤンマのオス(左)と,同じ池のそばの草原で交尾をしているペア(右).
写真5.7月30日.道路上を低く往復飛翔しているギンヤンマのオス.この日まだ新しい羽化殻がその近くの池で見られた.まだ羽化が続いているのだ.
写真6.左:8月1日,右:8月28日.池をパトロールするオスたち.左下の個体は腹部のつけ根が銀色に光っている.ギンヤンマの名の由来だ.
写真7.左:9月26日,右:10月12日.水面ギリギリで交尾するギンヤンマのペア(左)と,秋,公園の石段に止まるオスで,少し複眼が傷んでいる(右).

 ギンヤンマは,ヤンマのような大型のトンボにしては珍しく,ふつう連結状態で産卵します.日中,目立つ場所で繁殖活動を行い,オスがたくさん飛んでいる開けたところで産卵を行います.ですから,そういったところでメスが単独で産卵していると,たちまち他のオスに見つかり,メスは交尾を強要されてしまうでしょう.オスにはおそらくそういった選択圧がかかっていて,連結産卵が進化したのかもしれません.一方でメスの方は,特に連結でないと産卵しないというわけではなく,オスの数が少ないときなど,単独で産卵している姿もよく観察されます.

写真8.左:5月18日,右:8月14日.水面に浮かぶ枯れ草に連結産卵するギンヤンマのペア.
写真9.10月10日.ガガブタの葉上に連結産卵するギンヤンマのペア.
写真10.左:10月2日,右:10月10日.水面に浮かぶ朽ち木に連結産卵するペア(左)と,枯れた植物の茎に連結産卵する老熟ペア(右).
写真11.8月12日.朽ち木に単独産卵するギンヤンマのメスの表情.
写真12.左:8月2日,右:8月23日.単独産卵するギンヤンマのメスたち.

 ギンヤンマは止水性のトンボですが,河川でも産卵します.また,自然豊かな池沼にとどまらず,都市公園の親水ゾーンなどにも入ってきて産卵します.さらに草やゴミが浮かんでいる学校のプールにさえもやって来て産卵します.産卵基質についても,生きた植物組織内,枯れた植物組織内,朽ち木,土中,さらに発泡スチロールなど,産卵管が突き立つなら何でもといった感じで産卵しています.移動力があって環境を選ばない,これこそ「身近な」と言えるトンボの持つ習性でしょう.

写真13.10月2日.埋め立て地にある都市公園の親水ゾーンで産卵するギンヤンマのペア.都会を越え,海上人工島にやって来て産卵する移動力がある.
写真14.枯れた植物(左 10/10),朽ち木(中上 8/12),土中(中下 7/4),生きた植物(右 10/2)など,さまざまな産卵基質に産卵するギンヤンマ.
写真15.9月14日.川で連結産卵しているギンヤンマのペア

 ギンヤンマのオスは,メスを見つける能力に長けているようです.ヤブヤンマ,コシボソヤンマ,オオルリボシヤンマなどを見ていると,メスが同じ池や川で産卵していて,オスがすぐそばを通っても,メスに気づいていないのではないかといった状況をよく目にします.しかしギンヤンマは,連結産卵しているペアを見つけると,近寄っていってじろじろ眺めてみたり,ちょっかいをかけたりします.単独産卵しているメスは,オスに見つかると,多くの場合タンデムになって連れ去られ,池のそばの草地で交尾を強要されます.

写真16.左:5月17日,右:10月2日.オスは目ざとく,産卵しているペアをじろじろ眺めてみたり(左),時にはちょっかいをかけたりする(右).

 ギンヤンマのオス同士の闘争も熾烈です.特にオスがメスを見つけてタンデムになり連れ去ろうとしているところを他のオスが見つけたりすると,そのオスは体当たりしてメスを奪おうとします.その拍子に水面に落ちることもよくあり,水の上で暴れまわってメスを横取りしようとします.

写真17.10月10日.タンデムになったペアに2頭のオスが体当たりし4頭が塊になって水面に落ちた(1).オス1頭は飛び去り3頭に(2),そしてメスも逃げた(3).
写真18.10月10日.体当たりしたオスはメスをつかんでいたオスとタンデムになろうとしたが(4),結局飛び去り(5),残ったオスは水面に残された(6)(7).

 以上見てきたように,ギンヤンマは10月になっても活発に活動を続けています.10月といえば,もうアカトンボのなかまが盛りになっているころです.ギンヤンマはアカトンボを餌にしようと,アカトンボの産卵場にやって来ます.そしてアカトンボが連結打水産卵などを始めると,その動きにねらいをつけて,一気に近寄り追いかけて捕まえてしまいます.

写真19.10月13日.産卵していたオオキトンボのペアを,追いかけ,つかみかかり,最後はオスが逃げてメスだけを捕食するに至った.

 このような感じで,目立つ場所で,目立つ行動をとるギンヤンマも,11月の声を聞くころには,ほとんど姿を消してしまいます.それは大型のトンボが姿を消すことを意味します.後はわずかにカトリヤンマが飛ぶだけです.

 では,次にオニヤンマを紹介することにしましょう.オニヤンマもギンヤンマ同様,子ども向けの昆虫ガイドや図鑑には必ず載っているトンボです.オニヤンマは日本一大きいトンボという格付けがあるからでしょう.しかし,オニヤンマはギンヤンマほど身近ではありません.その理由の一つは,オニヤンマが小川のトンボであることによります.都会にある身近な河川は,そのほとんどがコンクリートで固められた巨大な溝のようになっています.オニヤンマは浅い流れの底の泥中に直接産卵弁を差しこんで産卵するので,堅いコンクリート底の川には産卵ができません.
 また,夏の間は,どちらかというと,涼しい樹林の中や林縁を流れる小川を飛んでいますので,目につきにくいということもあります.夏山のハイキングに出かけると,川沿いを飛ぶ姿を目にすることがあります.秋になると,オニヤンマは結構明るいところを飛ぶようになります.アカトンボを探しに山間の田園地帯に出かけると,オニヤンマが稲刈りの終わった水田の上を,悠然と飛んでいたりします.
 さて,オニヤンマは6月下旬から姿を見せはじめます.サナエトンボやアオハダトンボを観察に出かけた川で羽化を見ることがあります.7月になると峠の道路上を高く飛んだり,山道に沿って往復しながら飛んだりして,摂食飛翔をしているのを見かけるようになります.

写真23.左:7月1日,右:6月29日.公園の柵に残されていた羽化殻(左)と,羽化不全のオニヤンマ(右).羽化殻の位置は水辺から5mほど離れている.
写真24.7月7日.高所を往ったり来たりして飛んで摂食する若いオニヤンマのメス.まだ複眼が褐色をしている.
写真25.7月20日.うす暗い小径の上を往復飛翔するオニヤンマの若いメス.複眼はもう鮮やかなグリーンになっている.

 8月になり,セミの声もうるさくなるころには,オニヤンマも本格的に繁殖活動を行うようになります.はっきりとした日周性が確認されたわけではありませんが,だいたい早朝から午前中にかけては,うす暗い林道や日陰の小径を往復して飛び,摂食活動をしています.オスがメスをどこで見つけるのかよく分かりませんが,ときどき高い木の梢に止まって交尾している姿を見ることがあります.ビデオにはオスがメスを連れ去るところが記録されています.メスは林内を奔放に飛び回っているように見え,ときどき止まってはむしゃむしゃ何かを食べています.オニヤンマは夕方にもよく飛びます.これは多分摂食飛翔でしょう.ただし,ヤブヤンマのように高所を飛ぶことはあまりありません.主に林内や林縁を飛んでいます.

写真26.8月3日.木々に覆われた日陰にある山道の上を往復して飛ぶオニヤンマ(左).ときどき止まって休息している(右).
写真27.8月3日.遠景に夏の暑い日差しに照らされた田園地帯が広がっている.そこから山裾の雑木林に入った日陰で,静止して休息しているオス.
写真28.8月4日.メスは林内を奔放に飛び,ときどきこうやってだらんと止まる(左).オスは夕方林内を飛んで摂食する.旋回するところの顔のアップ(右).
写真29.8月4日.夕方林内を飛んで摂食活動をしていると思われるオス.

 オニヤンマの産卵は主に午後です.8月中下旬から9月中旬にかけて観察しやすくなります.うす暗い細流で,底が砂地で浅くなっているようなところにメスが入ってきて,頭を上にして垂直になった恰好で,体全体を上から下へストンと落とし,産卵管を突き立てます.そしてすぐに上昇します.上昇したときは少し体は前方へ傾きます.これをリズミカルに,トントンと繰り返して産卵します.

写真30.9月1日.浅い流れで産卵するオニヤンマのメス.まず流れの上で体を斜めにして一瞬静止し(左),次に体を垂直にしながら下降していく(右).
写真31.9月1日.体はほぼ垂直となり浅い流れの底の砂れきの中に腹端を差しこんで卵を置く.
写真32.9月1日.続いて水から飛び出て(左),体をやや前に傾けるようにしてその場に上昇する.これをリズミカルに繰り返す.
写真33.9月21日.流れの淵で産卵するオニヤンマのメス.
写真34.8月21日.林の中のうす暗い流れで産卵するオニヤンマのメス.

 オニヤンマは通常このような林内の細流で産卵しますが,湿地の中にある流れや水田の浅い用水路などでも産卵しています.こういった場所は泥が深いので,オニヤンマの腹部はかなり深く沈みます.また,オスもこういった湿地を飛んで探雌飛翔をしていることがよくあります.

写真35.8月11日.湿地で縄張りを持つオス.湿地の上を往復飛翔した後,一時的に止まった状態である.背後に湿地の流れが見える.
写真36.8月13日.湿地の上をパトロールしているときに,まるでメスが産卵時にするように体を傾け上下動を行ったオス.どういう意味があるのだろうか?
写真37.9月18日.湿地に入ってきて,湿地の水たまりで産卵をするオニヤンマのメス.
写真38.9月18日.湿地の特に泥深いところでは,腹部がかなり深く沈み込むことがある(右).

 オニヤンマは,ギンヤンマに比べると,かなり成長がそろっている感じがします.個体群のほとんどが,6月から7月にかけてほぼ羽化し終わり,7月に未熟期間を過ごして8,9月と繁殖活動を行い,10月中には姿を消してしまいます.9月の後半にもなると,かなり老熟した個体が,田園地帯の木の枝に止まっていたりします.

写真39.9月15日.老熟した感じのメスが,田園地帯の農道の横に木の枝に止まっている.

 私の観察したもっとも遅い産卵活動は10月3日のものでした.ヒメアカネの観察に出かけていた湿地にオニヤンマのメスが飛来し,産卵を始めました.湿地のアオミドロが水面を覆っているようなところに,産卵弁を突き立てていました.

写真40.10月3日.ヒメアカネの観察中,湿地に入ってきて産卵を始めたメス.
写真41.10月3日.湿地の水たまりを覆っているアオミドロの中に産卵弁を突き立てて産卵するオニヤンマのメス.

 トンボの自然死の瞬間に立ち会うことはほとんどありませんが,私は,オニヤンマの自然死の瞬間を見たことがあります.季節は夏で,川で地面に止まっているメスを見たのです.ほんの少し前にここを通ったときには何もいなかったのですが,引き返してきたときに見つけました.オニヤンマが地面にべたっと止まることはありませんので,どうしたのかと手で押さえてみましたら,どうやら息を引き取ったところのようでした.

写真42.8月21日.オニヤンマの自然死.地面に止まって息を引き取ったオニヤンマのメス.間もなくアリさんの活躍する時間になるだろう.